鳥尾の少年時代   その4  もどる

NO.12「スズメとモチ」

鳥のくちばしは硬い。それを確かめたかったらどこにでも有る去年食べ忘れたモチを用意していただこう。(そんなもの無いなんて言わない)それに空手チョップをくらわしてみる、あなたの手に激痛が走り「やらなければ良かった…」と思うはずだ。それほど古くなったモチは石のように硬くなる。

しかしお米から出来ているのでもちろん食する事は出来る。それを黒い紙か布の上に置く、これは単に白いモチを見やすくするためなのでモチが目立てばなんでも良い。いよいよチャレンジなのだ。これはとても時間のかかる気の遠くなる作業なので暇つぶしのマンガを持っていくか、定期的に時間を決めて観察しよう。

もちろん来るのはスズメがメインだがたまにハトも来る時がある。鳥の種類はどうでも良い彼らのくちばしの強さを実感するだけなのですから…1時間もするとスズメの子チュン太がやって来るだろう。1羽来るとスズメの輪は、ホームページの相互リンクのように爆発的に広がり10羽20羽あっという間に集まって来る。(時間と実験場所モチの美味しさでも違う、モチを作るならやっぱり新潟米かな…)

しばらくするとモチは親指大にバラバラにされる。普通トンカチで叩いても結構、割れにくい物なのでひょっとするとスズメのよだれがモチにたれて割れやすくなるのかもしれない。(鳥ってよだれ、たれたかな?まっいいか!)古いモチに水をかけると確かヒビがビシビシ入って割れやすくなった記憶がある。

ただひたすらモチを割りつづけるスズメそのとき飛び散ったカケラを専門に食べる、ちゃっかりスズメ、本当に見事に食べていく。夕方には半分位無くなる。いかにスズメがお米が好きかわかる。あなたの家にも食べ忘れたモチが、有ったら餌付けかたがた試してみてはどうでしょうか。

その時はあえてモチをバラバラにしないでください。大きなモチを鳥たちがバラバラにする所が面白いのですから…1〜2日もすると完全にモチは無くなる。

NO.13「空とぶニワトリ」

鳥を手の上に乗せたり口移しでエサをやったりするのに皆さんあこがれる事だろう。しかし何年、飼ってもなかなかそこまで馴れてくれないのが現実だ。スキンシップをするならやはりニワトリが一番だろう!これは人に馴れる「あっち行け」と言ってもついて来る。ただあの「コケコッコー!!」とおたけびを上げるので隣近所から苦情が来なければの話だが…

ある実験をした。ニワトリは訓練をすれば飛べるのではないかと…(実際野生化したニワトリは猫などから見を守るため不器用ではあるが空を飛ぶ)羽が生えそろいかけた私のニワトリを毎日空に向かって投げつづける事にした。最初は全然飛ばなかったが完全に羽が生えそろって成鳥になった頃には、明らかに5〜6メーター位軽く飛ぶようになった。「これはいける♪大空を舞う日は近い!」

張り切って俺はいつものようにニワトリをつかむと大空へ投げた。バタ!バタ!バター!今日は一段とは羽音が良い。しかも空中で軌道修正さえしている。その飛び方はそう!キジの飛び方に似ている。(同じ仲間だからあたりまえか♪)凄い!まだ飛んでいる今までの最高記録だ俺のハートは高鳴った。ニワトリはどんどん飛んで行って結局、平屋建ての屋根まで飛んでいった………

その日を境として飛ぶ訓練をするたびに屋根まで飛んで行くようになった。しかも一時間は降りてこない。つまり彼は飛ぶ訓練がいやだったんですね。いやならいやと最初から言ってくれればいいのに…テレビアンテナに飛び乗って「コケコッコー」と誇らしげに叫んでいる彼を眺めていると、親父が通りかかって「まるで風見鶏だぜ」といったのには、笑ってしまった。

NO.14「水蛇の災難」

小学生のとき俺は野生児を自負していた。勉強は駄目でもこの道だけは極めたつもりでいたのだ。しかし上には上がいる。母ちゃんの実家に遊びに行ったときのことだ。いとこの子とその友達と俺の3人でマムシを捕まえるべく決死の覚悟で山道を登っていた。(必死だったのは俺だけで毒蛇を捕まえに行くと言うのに後の二人は鼻歌を歌っている)

「いいかい!石や材木の下はマムシがいるから絶対に手を突っ込むんじゃないよ」この言葉は母ちゃんからいつも聞かされていたので田舎に来た時はその忠告を俺は守る事にしている。しかし…いとことその友達は「いねえなー」と木はひっくり返すは、石はぶん投げるは「母ちゃんの忠告っていったい…」ってもんである。

しかたがないので、すぐそばの沼でイモリでも捕まえようではないかという事になった。しかし皆さんにも経験があるだろう災難とはそれを一番嫌がっているものの所に限ってひょっこりと現れる物なのね。俺がヤモリかイモリでもいないかなーっとヨシをかき分けた時ニョロニョロと一匹の蛇が飛び出してきた。正確には泳いでいた。「マムシだー」俺が大声で怒鳴ると2人は笑って「水蛇だがなー」とあっという間にその蛇を手づかみで捕まえてしまった。

「へーこれが水蛇かーどうして沈まないんだろう?」その一言がいけなかった。哀れ水蛇くんは10秒後には二つに口から裂かれてしまい「この浮き袋があるすけ!しずまねんだ」と細長い浮き袋か胃袋だかわからない物をつまんで俺に見せてくれた。「そのヘビどうするの?」と聞くと、想像はしていたが「食うよ」と明るい返事が返ってきた。

それ以来蛇はどうも苦手だ。しかし貴重な体験でした。もう二度とあんな事は無いだろうな。

NO.15「ハザキと青山ハナタレ軍団」

今は稲を乾燥させるのに自動乾燥させる、しかし昔は自然乾燥をさせていた。新潟では「ハザキ」といってタモの木を何本も植えてそこに竹などで棚を作ったものだ。わかりやすく言えば巨大なハシゴですね。その竹に稲を引っ掛け自然乾燥させた。見た目も凄く美しい。ハザキのそばを通るとぷーんと稲のいい臭いがして幸せな気分になった。

ジャーンその臭いにつられていつもの青山ハナタレ軍団がハザキの下へと集まった。何をするかというとタダひたすら稲のじゅうたんを登りまくる。タダそれだけ!干してある稲の隙間に体を無理やりこじ入れ竹をまたいで自分も稲の気分を味わったりした。しかし今考えるとなんであんな事が面白かったんだろう?多いときには10人位ハザキに登った物だからまるで稲に子供の花が咲いたように見えた。

下に降りるのがめんどくさいのでハザキを作るときに余った竹を適当な所に差し込んで近道を作り、それに伝わって下へスルスルと降りる。それがまた面白い!手と足は摩擦熱で熱くなりヤケドしそうになりながらも何べんも何べんも繰り返す。そういえば女の子もいたなパンツ丸見えでキャキャ言いながら滑り降りていた。

青山ハナタレ軍団はその、かわいいパンツを見て全員さらに幸せな気分になった。

NO.16「雪だるまの最後」

雪が降ると凄く楽しい。雪合戦にスキー、やりたいことだらけだ。その中でもダントツは雪だるま作りだ。俺はどこまで大きい雪だるまを作れるか挑戦する事にした。あれは今からウン十年前の小学2年生の冬、まだ私が今ほどひねくれていない頃の出来事でした。

雪だるまを作るのは結構面倒くさい。そこで簡単な雪だるまの作り方を伝授しょう。エッヘン!坂の上から作り始めればいいのだ。この方法だと力のない子どもでも楽に雪だるまを作ることが出来ます。ただ下に向かって雪を転がせばいいのだ。よいこの皆覚えておこうぜ。(ためになるな−このコーナーは)

しかし思いのほか作業がはかどり坂の下に来る頃には雪だるまは俺の背よりも高くなってしまった。坂の下は電車の踏み切りがある。あの踏切を越したら止めようかな…俺は頭の中で次の段取りを考えていた。踏切を越した所で雪だるまを思いっきりぶっ壊す。これが俺の貧弱なコンピュータが出した結論だった。

よし、もう少しでゴールだ。ところが雪だるまは電車のワダチつまりレールに食い込んで動かなくなってしまった。頭は真っ白くなりパニックになった。慌ててレールに耳をくっつけまだ電車の来ない事を確認すると又雪だるまを押し出した。しかしやっぱり雪だるまはびくともしない…するとそこに、ハヤテのように近所に住んでいる別の学校の生徒が飛び出してきてあっという間に雪だるまをこなごなにしてしまった。

そして無言で去っていった。「なんなんだバカヤロー人の楽しみとって泣かすぞー」と男の子の去っていった方に向かって大声で叫ぶ俺。あぁ「雪だるま創作時間」およそ30分の苦労はなんだったんでしょうか…

子供の頃は本当に意地悪されたとしばらく恨んだが、今思うとあのときの男の子は踏み切りで電車が事故を起こすと大変だと思って雪だるまを壊したんでしょうね。今でも思い出す強烈な思い出です。皆さんは雪だるまで、なにか思い出はありますか?雪国の子供は冬になると雪だるまばっかり作っているから力持ちなんだよ。

NO.17「クリスマスの思い出」

クリスマスが近づくと何故か買ってもくれないのに家族でデパートに行くのです。こっちは絶対買ってくれる物とばかり思っていたのに当てが外れて兄弟三人(特に俺)は親に向かってブーブー言うのです。しかしその不満もお決まりの一言でかき消された。「デパートの屋上でラーメン食べてくか」この言葉に兄弟は弱い。

ラーメンを食べて幸せな気分になった俺たちは先ほどの不満なんてどこ吹く風、好きなマンガ本を一冊ずつ買ってもらうとウキウキしながら家に帰った。おもちゃは買ってもらえなかったけどクリスマス独特の雰囲気は満喫したのです。ジングルベルの音サンタクロースのぬいぐるみどれもこれも俺の記憶の中に鮮明に残っている。

家に帰るとさっそくマンガ本の附録の「クリスマスツリー」の組み立てを開始した。すばらしい附録とは思えない豪華さだ。隣りを見ると兄ちゃんは「忍者屋敷」の附録を組み立てていた。部品が細かくて俺には、ちょっと無理な代物だ。弟はというと…ありゃ!疲れたのか寝ている。「保育園年少組」では無理も無いか。

しばらくすると楽しみにしていたテレビで、「サンタクロース」が始まった。(題名は覚えていない、でも面白かった)子供の頃見た映画って、どれも面白く感じるのはなぜでしょう。サンタクロースや昔話を本気で信じていたせいもあるのかな?

今の子供には想像も出来ないくらいの貧しいクリスマスでしたがそれはそれで楽しみな日ではありました。おもちゃを買ってやるばかりがクリスマスではないのです。心に残るクリスマスを…お父さん、お母さんお子さんにプレゼントしてあげてください。